ニュージーランドへの3週間のホームステイで触れた優しさ

ニュージーランドのホームステイで初めてのサーフィン

ニュージーランドへの短期ホームステイは、今でも忘れられない楽しかった思い出です。

高校時代、修学旅行の一貫として、ニュージーランドに3週間ホームステイに行きました。

英語圏ですので、当時からすでに英語力の習得の為には良い旅行でした。

かつあちらの日本人に対する感情もよく、私自身もニュージーランドに対して悪いイメージはありませんでした。同じ島国という意味でも親近感もあります。

ホームステイ先のご家族達も、日本人慣れ、ホームステイ慣れしてたので安心してホームステイできました。

実際ニュージーランドに行ってみると、自然豊かで景観もよく、治安も問題ないのどかな所に思え、とても開放感を感じました。

私の場合は学生時代だったので、現地の学校に仮入学のような状態でしたが、短期でしたので授業を受ける事もあまりなく、実際には交流がメインで、勉強という側面はあまりありませんでした。

ホームステイ先の地域が、海の近くという事もあり、私が泊まらせてもらったホームステイのご家族は皆サーフィンをする人達でした。

文化系の私には少々ビックリしましたが、何度も海に連れて行かれ、人生初のサーフィンを楽しみました。海はとても綺麗でしたので、抵抗なく入れました。

まあただ食事にはビックリさせられました。

海外ではよくありますが、ホームステイ先でのお昼がファーストフードやジャンクフード、またお菓子だったです。

私自身はどれも大好きなので良いですが、お昼ごはんがポテトチップスだとか、フライドポテトオンリー等は普通の事でした。

別に自分の所だけでなく、現地のニュージーランド人の学生の持参のお昼等はそんなものが多かったです。

りんご丸ごとというのもありました(笑)。まさに食文化を体感した出来事でした。

でもそれに対して、夜は大変豪盛でした。

ドナルドダックを丸焼きにしたようなデカイ鳥も出てきて、ボリュームたっぷりな美味しい食事でした。

私自身英語力はあまりなかったので、辞書片手に会話をする事も多かったですが、ジェスチャーで何とか3週間乗り切りました。

意外と何とかなるもんだとも思いましたが、たぶんあちらが結構気を使ってくれたのでしょう。

思いやる気持ちを必ずしも外国人にできない事は結構あると思います。

そういった中でも、初対面かつ外国人である私達を温かく迎えてくれ、気持ちよくホームステイをさせてくれたので、とても良い思い出ができました。

機会があればまたニュージーランドに行ってみたいものです。

アメリカのホームステイ先の楽しい思い出

スペイン系移民の息子さん達にからかわれた思い出。

学生の頃、アメリカに語学留学した時の話しです。

当時は、いまほどホームステイ先の情報など入念にチェックせずに送り出してしまう会社も多く、私もその一人でした。

さいわいなことに、ホームステイ先のマザーは良い人でしたし、同じくホームステイで来ていたブラジルの女の子達も明るくて話しやすい子ばかりでした。

食事の準備中、ホストマザーが歌を歌っているので、「あなたシンガーだったのよね?」と私が
声をかけると、目を丸くしてじっと私を見つめるのです。

あれ?英語が通じなかった?と思って、ホストマザーの情報が書かれた、会社発行の紙を見せたらホストマザーが笑い出し、「こんな情報、嘘よ」と言うのです。

今の時代では、ありえないようないい加減な情報に、私も笑うしかなかったです。

ちなみに、ホストマザーは移民の方だったので、母国語はスペイン語。ブラジル人の女の子達はポルトガル語。私は、日本語。とたまにおかしな言葉が飛び交うのですが、なぜか気が合っていると
通じてしまうこの不思議。

ある日、ブラジル人の女の子が、コスメBOXを持ってきて、テーブルいっぱいに広げてくれた日には日本の化粧品メーカーのものばかりで驚いたこともあります。

別の日は、ご近所に住んでる他の移民の方も含めてスペイン語パーティーです。

語学留学で英語習得しに来たのに何で?と思いながら、それもまた楽しい思い出の一つです。

ホストマザーの息子さんが、男友達とパーティーに参加していたのですが、どうやら20才そこそこの私を中学生を勘違いしたらしいのです。

そして、からかい半分に息子さんとその友達が同時に私の両頬にキスをするというハプニングが!これもばっちり写真に収められてしまいました。

後からホストマザーが私の年齢を明かしたところ、たいして年が変わらないことがわかり、「レディーに失礼をしました」と友達と二人で謝ってくれたというおまけつきです。

色んな国で育ち、色んな習慣を持った人との共同生活は驚くこともありましたが、楽しいことがそれを上回るくらいです。

私の人生の中で、留学での経験、外国人との交流はとても貴重な財産になっています。

ドイツ人女性と結婚して娘がいます

ドイツ人女性と結婚して娘もいます

年齢は43歳です。職業はフリーランスで住まいはドイツになります。

東京で仕事をしてた時に海外出張(ドイツ語圏のスイス)が入り、基本的な会話程度を覚えるために会社命令で個人レッスンをお願いしたドイツ語の先生と恋愛に発展しました。

もともとは仕事のための語学学習だったので全然乗り気ではなかったのですが、何度か会ううちに日本人女性には少ない自分を飾らないフランクな感じ、屈託のない笑顔に惹かれ恋に落ちました。

一番の思い出は大晦日のカウントダウンパーティーでの出来事です。

それはとある年に新木場のナイトクラブで行われたカウントダウンパーティーでのこと。私がドイツ人の彼女と飲みながらフロアでキスをしながらおどけていると周りにいた数人の男が入れ替わり立ち替わり寄ってきて「すみません、オレもそこの白人とキスしたいんですけど、どうすればいいですか?」と聞いてくるではないですか。はじめは意味がわからなかったんですが、彼らは私のことをたまたまノリで白人女性にキスをしてる日本人男性だと思ってたようです。なので私が「あの、これオレの彼女だけど…」というとみんな慌ててどこかへ消えていっちゃいました。

結局、日本人男性にとっての欧米の白人女性というのは内面なんてどうでもよくて、見た目がオシャレな単なるおもちゃまたはペット(見せびらかすためだけの存在)と考える人が多いように思います。

彼女とのその後は結婚しまして今年4歳になる娘がおります。

欧米女性と恋愛したいと考えてる時点で必ず失敗します。なぜなら広島出身の女性と恋愛したいと言っているのと同じことなので。

つまり好きになった人がたまたま欧米の人でなければうまくいく訳ありません。なので欧米女性と恋愛したいと思ってる方がおられるならそれは恋愛ではなく人種差別です。まずはそんな貧相な発想しかできない自分を恥ずかしく思い、自分磨きからはじめましょう。そして国籍とか肌の色とかを超えて人を愛することができる自分を手に入れてください。

披露宴で知り合った白人留学生と社会人バンドを組んだ思い出

披露宴で知り合った白人留学生とバンドを結成しました。

私が社会人になって間もない頃、職場の同僚たちと一緒にアマチュアバンドを組むことになりました。きっかけは先輩社員の結婚式に招待され、披露宴の2次会で有志一同がお祝いの歌を贈ることになったからです。

カラオケなどを使って簡単に済ます方法もあったのですが、私は趣味でベースギターをやっており、有志の中にはギターが上手い人もいたので、どうせなら本格的にやろうということになったのです。

選曲のためのミーティングとスタジオでのリハーサルを数回行って本番に挑みました。パーティ会場は総勢40名くらいの熱気に包まれていて、私達の拙い演奏でもそこそこ盛り上がりました。

演奏した曲は洋楽ポップスの定番曲がほとんどだったのですが、ステージ後半あたりに一人の参列者がステージに上がってきました。白人の若い青年だったのですが、片言で「私も歌いたい」というようなアピールをしてくるのです。

私たちは一瞬戸惑ったのですが、どうやら新郎の知り合いでアメリカから来ている留学生らしいのです。その場の和んだ雰囲気も手伝って、ぶっつけ本番でやってみようということになり、残りのレパートリーのうち2曲ほどをその彼が歌ったのです。

そのパーティがきっかけで留学生の彼と親しくなり、話はとんとん拍子で進んで正式なバンドを結成することになりました。

月に1回ほどスタジオに入り、それぞれのメンバー好きな曲のカバーを練習しました。バンドのまとまりが出来てくると、ただスタジオで演奏するだけでは物足りなくなってしまい、ライブハウスで開催されている社会人バンド演奏会などに出演するようになりました。

メインボーカルの座を射止めた留学生の彼は飛び切り歌が上手いわけではなかったのですが、明るく社交的な性格で日常会話程度の日本語も通じましたので、観客を盛り上げることには長けていました。

面白かったのが、彼自身も熱狂してくると突然母国語に切り替わり、変なスラングのような言葉を叫びまくる癖があることでした。観客も私達自身もそれが面白くて、ステージでもついつい爆笑してしまったことが何度もあったことを覚えています。

その後バンド活動は約2年ほど続いたのですが、彼は本国に帰ることになり、私たちも仕事に埋没する日々が続いて自然消滅してしまったのですが、今でもみんな彼の個性的なお笑いキャラが忘れられず、時折集まっては思い出話に花を咲かせるのです。

素敵な彼は意外と残念な幼稚なフランス人

留学生のたくさんいる大学の近くで、パン屋のアルバイトをしていました。
値段は安くはありませんでしたが、パン食が懐かしくなるのかなんなのか、日本の学生より外国の方がよく来てくれていました。

そんな中、フランス人らしき学生さんがよく来るように。
背も高く、彫のしっかりした顔で緩やかなブロンドの髪「へえ~素敵」とちょっと見とれるほどです。
好きとかそういうことではなくても、外人と付き合うってどんな感じなのかしら?なんて思ってしまうことがありました。

でも、なんとなく私のことが気に入ってくれているようなんですよね。
私が奥で作業している時は店に入って来ないのに、レジに立つと店に入って来たり、パンの中身をわざわざ聞きに来たり。

とりあえずかっこいいしかわいいような気も気もしますが、ちょっと子供っぽ過ぎるなあ、という気もしていました。
悪人の私は、ちょっとからかってやろうという気になり、ある日ニコリと笑いかけてあげました。

そして翌日、また彼が来たのですが・・・なんだかぺったりと整えられた髪にすごいコロンの香り。
普段は地味な学生らしい格好なのに、なんか昔のジャケットみたいのを羽織っています。
オシャレして来ちゃったんですね。私はかなりドン引きでした。
その日はもちろん笑かけることもなくあっさり終わり。
彼の「えっ?終わり」という表情もがっかりな感じです。

その後、ちょっと間があいたけどまた来てくれるようになりました。
またいつもの彼に戻りましたが、なんだか格好よく見えなくなってしまったのは不思議です。
いつの間にか来なくなったけど、国に帰ったのかな。

あまりにも幼稚で残念な彼の話でした。

国境を超えるフィーリングの合う友達

カナダに居たときによく遊んだ外国人の友達とのことを書こうと思います。

あるところで知り合ったカナダ人なんですが、年も非常に近く考え方も似ていたのでよく遊んでいました。ある日その友人が家に招待してくれたので遊びにいきました。家はとても広く場所も都心から離れたところにありとても静かで住みやすそうな場所でした。

お昼ごろから行き、昼間は近くの公園でサッカーをしました。その友人の家に居候しているルームメイトとも仲良くさせてもらいました。近所の公園でサッカーをしていい汗をかいたあと、家に帰り夜ご飯をみんなで食べました。ピザを頼んでくれてみんなでビールを飲みながら夕食を頼みました。やはり欧米文化なので普通に夜もピザで済ませるという感覚が非常に新鮮でした。

お酒も進み、会話に花が咲きました。その日はその友人の家に泊まるということだったのですが、それには理由があり、以前から一緒にボードゲームをしようと約束をしていたのでみんなでボードゲームを夜遅くまで楽しみました。その友人はかなりのボードゲームマニアで二人して攻めても勝てなくてとても悔しい思いをしましたが、めちゃめちゃ盛り上がりました。

二人ともネイティブスピーカーなので僕の英語力でたまについていけないところもありましたが、僕に合わせて話してくれて会話も何不自由なく出来ました。その日は泊まらせてもらって次の日に帰ったのですが、感覚としては、何故か昔から一緒に居たような感覚に駆られました。国や言葉が違ってもやはりフィーリングが合う友達とは何か分かち合えるものがあるということを知り国境を越えた感じが何ともいえず今でも僕の心の中に眠っています。

またカナダに行く計画を今から立てていますが、なかなか資金面でうまくいかないのでこれから本格的に頑張っていこうと思います。またその友人に会いたいです。

ニュージーランドでの兄のような韓国人同級生

1年間ほどニュージーランドへ留学していた頃に語学学校へ3か月間ほど通いました。
初日の日に通されたクラスは8名ほどで韓国人、中国人、ブラジル人が中心でした。

私の席は前から2番目で隣は韓国人の男の子でした。英語がまったく初心者レベルの私は不安でいっぱいでなかなかクラスに溶け込むことができずにいると、その男の子がとてもやさしく話しかけてきてくれたんです。

お互いぎこちない英語ですが、やさしさが伝わってきました。お弁当を一緒に食べてくれたり、何かあると常に誘ってくれました。

歳は私の1つ上で兄妹のようにそれからよく一緒にいるようになり、学校帰りに映画に連れて行ってくれたり、勉強を2人で一緒にしたりととても心強いパートナーでした。

いつものように話をしている時に、私は彼に「いつもありがとう、本当にやさしいね」と言ったことがあります。すると「日本人の女性はすごくやさしい、ありがとうという気持ちを大切にしていると思う」と言われたことがあります。

とってもとってもうれしかったです。韓国では日本人というだけで好かれるそうです。

私自身、異国へきて、はたから日本を見ることがなかったためか日本人は本当に低姿勢な国だなと実感しました。「ありがとう」の言葉は万国共通なんだと。

それから私が帰国するまで、彼とはずっと良い仲でいることができました。休みの日はご飯を作ってくれたり、誕生パーティーもしてくれて彼がいたからこそとても楽しい1年間を過ごせたと思っています。