インド人のお客さんとの交流

インド人と仲良くなった両親は結婚式に招待された。

空港が近くにできたことで、外国の方をよく近くで見かけるようになった頃、親のしているお店にたまたまインド人のお客さん2人が来たようです。

カタコトの日本語だったようですが、そんなお客さんがいたよと親が話してくれました。その頃私はまだ小学生でしたがよく覚えています。

その後、またお店に来てくれたようで、以前の親の対応がすごく気に入ってくれたようで、また、そのインド人の方は近い日にインドへ帰るとわざわざ伝えに来てくれたのです。

思い出にと、一回自宅に呼んでみんな一緒にご飯を食べようということになり、当日2人そろってきてくれました。

日本でしか食べないような、お寿司やお好み焼き、お酒も日本酒や日本メーカーのビールなど、喜んで食べて飲んでくれました。

インド人の2人で話すときはたまに日本語じゃない言葉でしゃべっていたので、何を話していたのか今でも気になりますが、お酒も飲んで、インドの歌も歌ってくれて楽しませてくれました。

その後、インドへ帰ったのですが、それから半年くらいして、ハガキが届きました。結婚をするので招待したいという内容でした。3回くらいしか会ったことがないのに、結婚式まで呼んでくれて、親の人柄もあったんだと思いますが、親友になるのに日数は関係ないなと思いました。

行ったことのない国で、急なことだったので、結局行けずじまいですが、その後元気にしてるのかなと今でも思い出したりします。

海外の人とかかわることも、それ以来ほとんどないので、小学生と小さいながら貴重な体験をしたなと思います。

その時は小さかったので仕方ないですが、その後も英語が出来ればもっと海外の人ともっと会話が出来たのになと思うことはありました。

みんなでご飯を食べた時もお互いに通じないことは、インドの方でも英語が出来て、インドの言葉を教えてくれる時に、日本語だとなんて言っていいかわからい時に英語で教えてくれたりしました。

その時は私は理解できませんでしたが、大きくなってから駅で英語で話しかけられたことがあって、道を聞いているんだなとは聞き取れるけど、なんて答えたらいいのかわからないことがあったので、英語は世界の共通語なので、今からでも勉強しなおしたいなと思います。

コンビニでのドイツ人営業マンとの出会い

ドイツの営業マンとコンビニで知り合った体験。

学生時代コンビニでバイトしていた時のこと。そこはビジネス街でホテルも多く、外国人のお客さんも多く来られていました。

その中の一人にいつも缶酎ハイとパックの焼き鳥を買って帰られる白人の男性がいました。レジでお会計をした後はいつも「サンキュー」と笑顔で声をかけてくれるとても感じの良い方で今でもよく覚えています。

ある日仕事に入る前に店の前でたばこを吸っていると、その男性がいつものように買い物を済ませ店の前のベンチでお酒を飲み始めました。

当時私は外国に強い憧れを抱いていたので、その方と話してみたくなりました。英語なんて話したこともなく、英語のテストでいつも赤点だったばかりの私になんであんなに思い切りよく行動ができたかは未だに不思議です。

今ではインターネットなど色々と外国人との出会いの場もあるようですね。

気付いた時には片言の英語で「ハロー」と声をかけていました。向こうも一瞬戸惑ったものの、すぐに「ハロー」と返事をしてくれました。

そこからどこから来たのか、なにしに日本に来たのかなど本当に色々話しました。

彼はドイツから仕事で来ていて医療系の機材の営業をしにきたとのことで、次の日にはもう福岡まで行ってしまうようでした。

一人で日本に来たから話す相手もおらず寂しい思いをしていたらしく、それが嫌で毎日うちのコンビニで買い物をしていたそうです。

拙い英語で一時間くらいやりとりをして、なんとかお互いに楽しくコミュニケーションとっていましたが仕事の時間になり、私はさよならを伝えました。彼は仕事終わりに飲みに誘ってくれましたが残念ながら夜勤だった私はそのお誘いを断りました。

私との他愛もない話を本当に楽しんでくれ、会えてよかったと言ってくれたことが本当にうれしかったです。あれから彼とは会えませんでしたが私のように彼もまたこの時間を時々思い出してくれていたらいいなと思っています。

披露宴で知り合った白人留学生と社会人バンドを組んだ思い出

披露宴で知り合った白人留学生とバンドを結成しました。

私が社会人になって間もない頃、職場の同僚たちと一緒にアマチュアバンドを組むことになりました。きっかけは先輩社員の結婚式に招待され、披露宴の2次会で有志一同がお祝いの歌を贈ることになったからです。

カラオケなどを使って簡単に済ます方法もあったのですが、私は趣味でベースギターをやっており、有志の中にはギターが上手い人もいたので、どうせなら本格的にやろうということになったのです。

選曲のためのミーティングとスタジオでのリハーサルを数回行って本番に挑みました。パーティ会場は総勢40名くらいの熱気に包まれていて、私達の拙い演奏でもそこそこ盛り上がりました。

演奏した曲は洋楽ポップスの定番曲がほとんどだったのですが、ステージ後半あたりに一人の参列者がステージに上がってきました。白人の若い青年だったのですが、片言で「私も歌いたい」というようなアピールをしてくるのです。

私たちは一瞬戸惑ったのですが、どうやら新郎の知り合いでアメリカから来ている留学生らしいのです。その場の和んだ雰囲気も手伝って、ぶっつけ本番でやってみようということになり、残りのレパートリーのうち2曲ほどをその彼が歌ったのです。

そのパーティがきっかけで留学生の彼と親しくなり、話はとんとん拍子で進んで正式なバンドを結成することになりました。

月に1回ほどスタジオに入り、それぞれのメンバー好きな曲のカバーを練習しました。バンドのまとまりが出来てくると、ただスタジオで演奏するだけでは物足りなくなってしまい、ライブハウスで開催されている社会人バンド演奏会などに出演するようになりました。

メインボーカルの座を射止めた留学生の彼は飛び切り歌が上手いわけではなかったのですが、明るく社交的な性格で日常会話程度の日本語も通じましたので、観客を盛り上げることには長けていました。

面白かったのが、彼自身も熱狂してくると突然母国語に切り替わり、変なスラングのような言葉を叫びまくる癖があることでした。観客も私達自身もそれが面白くて、ステージでもついつい爆笑してしまったことが何度もあったことを覚えています。

その後バンド活動は約2年ほど続いたのですが、彼は本国に帰ることになり、私たちも仕事に埋没する日々が続いて自然消滅してしまったのですが、今でもみんな彼の個性的なお笑いキャラが忘れられず、時折集まっては思い出話に花を咲かせるのです。

ケンブリッジ卒のインテリオタクとのネット交流

ケンブリッジ大学卒業のインテリ・オタクとの交流。

しばらく無職生活をしていたころ、海外のオタク系画像掲示板に「日本人や日本通集まれ」という趣旨のスレッドが立っており、他のスレッドでみんな英語で歓談している中、そのスレッドだけ(かなり怪しいものも含めて)日本語の出来る者同士で会話をしていた。

私も「可愛い妹がいるから紹介してやってもいい」のような切り口で参加し、外国人の中でも一番日本語が出来そうな奴とメールアドレスを交換するに至った。

なんでもイギリスのケンブリッジ大学を卒業見込みで、日本にも何度か来ており、とりわけ日本の漫画やアニメの「通」だという。

向こうも卒論を出したばかりで暇そうで、日夜を問わず私のメールに嬉々として付き合ってくれた。時折漫画かアニメの名台詞を引用するのを分かってあげられなかったが。

これから犬の散歩に行く、とか、今日床屋に行ったら髪が薄いと笑われた、悔しい、というような内容で、しばらくメールの出し合いをしていた。

その内メールに書く事もだんだん込み入ってきて、向こうもメールだけではもどかしくなったのか、「スカイプのアドレス持っていないか」という話になった。

私用しているパソコンのスペックがしょぼいのであまり負担を掛けたくなかったが、実際やってみると少し重い程度で、会話もかなりスムーズになった。

ゲームのプログラムを組んだから見てほしい、絵を描いてみた、というような話で盛り上がっていたが、どうやら近々に京都大学に留学に来るらしい、という話になった。

日本にはすでに彼女がおり、東京住まいの私とも顔を合わせられるんじゃないか、とも言ったが、「恥ずかしいから」という理由でうやむやになった。

京都に引っ越してからもしばらくスカイプで話し込んでいたが、ある時を境に音信不通になった。卒業してから大手企業に勤務しているらしい。健闘を祈るばかりである。