アメリカ人牧師夫妻が私を助けてくれた

私は中学生の時、学校へ行けなくなった事があります。その時はいつも家でぐったりと眠っていたり、祖母の代わりに近所のスーパーに買い物に行ったりする程度でした。

その時、小学校の時、時々学校に英語を教えにきてくれていたE牧師夫妻に偶然会いました。
最近の調子を聞かれて、困りながらも、学校にいけていない事などを相談しました。E牧師夫妻は「それなら私たちの教会においで。毎週日曜日に礼拝をしていて、色んな人が来るから」と声をかけてくれました。

この話を母に相談した所、「少しずつ前を向いて進む為には必要なのかもしれないね」と頷き、次の日曜日から私は教会にいってお話を聞くようになりました。

E牧師とその家族は、小さな港町でプロテスタントの教会を二十年以上運営しています。「あそこの年子の女の子二人は、私が担任だった事もあるんだ」と、母が懐かしそうに呟いていた事が印象的でした。

二十年以上も住んでいる為に日本語は問題なく、地域の方とも上手くいっている家族でした。
礼拝も日本語で行われ、日本人以外の町内に住む外国人や、小さな子供を連れたお母さんもいました。

礼拝の後には、皆で昼食をとります。色々な人種や国籍の人が、本当に色々な悩みを抱えて、それに向かって頑張っているのを毎週感じました。無理強いをせず、小さな前進も嬉しそうに聞いてくれるE牧師と夫人はとても優しい人でした。それから少しずつ、私は学校にも通い始めました。

今は大学を卒業して地元を離れてしまいましたが、時々E夫人から「元気ですか?」とメールが届く事があります。

素敵な彼は意外と残念な幼稚なフランス人

留学生のたくさんいる大学の近くで、パン屋のアルバイトをしていました。
値段は安くはありませんでしたが、パン食が懐かしくなるのかなんなのか、日本の学生より外国の方がよく来てくれていました。

そんな中、フランス人らしき学生さんがよく来るように。
背も高く、彫のしっかりした顔で緩やかなブロンドの髪「へえ~素敵」とちょっと見とれるほどです。
好きとかそういうことではなくても、外人と付き合うってどんな感じなのかしら?なんて思ってしまうことがありました。

でも、なんとなく私のことが気に入ってくれているようなんですよね。
私が奥で作業している時は店に入って来ないのに、レジに立つと店に入って来たり、パンの中身をわざわざ聞きに来たり。

とりあえずかっこいいしかわいいような気も気もしますが、ちょっと子供っぽ過ぎるなあ、という気もしていました。
悪人の私は、ちょっとからかってやろうという気になり、ある日ニコリと笑いかけてあげました。

そして翌日、また彼が来たのですが・・・なんだかぺったりと整えられた髪にすごいコロンの香り。
普段は地味な学生らしい格好なのに、なんか昔のジャケットみたいのを羽織っています。
オシャレして来ちゃったんですね。私はかなりドン引きでした。
その日はもちろん笑かけることもなくあっさり終わり。
彼の「えっ?終わり」という表情もがっかりな感じです。

その後、ちょっと間があいたけどまた来てくれるようになりました。
またいつもの彼に戻りましたが、なんだか格好よく見えなくなってしまったのは不思議です。
いつの間にか来なくなったけど、国に帰ったのかな。

あまりにも幼稚で残念な彼の話でした。

3人目のおじいちゃんはアメリカ人だった

私には母の知り合いの外国人さんがいました。交流センターを通じたその出会いは、私にはとても驚きでした。

彼は日本語ではない言葉をしゃべるおじいちゃんの外国人で、私には3人目の祖父のような存在でした。私が覚えたての英語であいさつをすると「Smart girl!(賢い子だ!)」と褒めてくれました。その彼がなぜ日本に来たのか、知ることになったのはずっと後になってからでした。彼は東京裁判の日本側の弁護団の一員として日本に来た人なのでした。そして、その後日本に住みついたのです。

なぜ日本に残ったのか、日本のどこが好きなのか、なぜ日本の中でも私たちの街を選んでくれたのか…聞きたいことは山ほどありました。けれども、彼にそれを聞くことは叶いませんでした。
中学生になったころ、彼がアメリカへ帰るために引っ越しの準備をしていると母が聞きつけ、最後のお別れに会いに行くことになりました。

10年ぶりぐらいに会うその姿は昔の大きな背中ではなく、細くて小さくなったように見えた姿でした。私たちを見つけると「Hi! Nice to see you again!」ととても喜んでくれました。私は英語が好きでしたが、そこまでうまくスラスラと話すことができず歯がゆい思いのまま別れました。

その彼が亡くなったと知らせを受けたのはそれから1年もしない頃でした。彼のお姉さんから母に連絡が来て亡くなったことを知りました。彼とは話してみたかったことが山ほどありました。今でも小さな私の頭をなでる彼の暖かな手を忘れられません。彼は私にとっていつまでも忘れることのできない3人目のおじいちゃんです。

まるで映画のシーンのような夜

私は5年前のヨーロッパ旅行で忘れられない出会いをしました。
大学の卒業旅行として3週間の一人旅でイギリスやドイツ、フランス、イタリアなどを周っているときイギリスのロンドンに滞在していました。

お金がなかったので、1泊4000円くらいの安宿に泊まっていました。
ある朝ホテルの食堂でイングリッシュブレックファストを食べていたところに、隣に座ったのがドイツ人の男性でした。

はじめのきっかけは相席でいいか?と聞かれたことでした。
お互い一人旅だったことと、年齢が近かったことで、意気投合し、その日から3日間ずっと一緒に観光しました。

彼は英語が上手でしたが、私は片言しか話せませんでした。
でも辞書を使いながら、時にはボディランゲージで意思疎通して、とても楽しく過ごしたのを覚えています。

英語ができる彼は私を色々なところへ連れて行ってくれました。
音楽の話、将来の夢、料理の話いろんなことを話しました。
夜は宿に泊まっている他の日本人、ドイツ人、フランス人、スペイン人などみんな一緒にパブへお酒を呑みに行きました。
またクラブへ行ったり、映画や小説のなかの出来事のようでした。

最後に彼は記念にと、小さなロンドン橋の置物を買ってくれました。
このままずっと一緒にいられたらなんて思いましたが、私はフランスへ行く列車の切符を予約していたので、そこでお別れでした。

今でもメールのやりとりはありますが、再会はまだしていません。
またいつかドイツか日本で会えたらいいな、と思う出会いでした。

臆せず話せば世界が広がる

私は外国に対する興味がわいて、外国人とお友達になりたいなぁと強く考えていた時期がありました。そんな時出会った友達は、同じく海外生活に興味があり、英会話を勉強しているという女性でした。

ある日、その友達に連れられて、外国人の方も多く来るというバーに。そのお店のオーナーは日本が話せる方でしたが、出身はオーストラリアということで、私のつたない英語でも、「全然大丈夫だよ」と自信を与えてくれたんです。

その時にバーで知り合った外国人の方とはメールで連絡したり、たまに会ったりしていますが、なるほどと思ったことがあります。それは英会話に自信がなくてもともとなかなか話すことができなかった私でも、逆にたくさん単語であっても話したほうが思いは伝わっていくんだというポジティブな考え方。

英語は世界のあちこちで話されているので、いろんな国や地方のなまりがあるんです。イギリス英語とアメリカ英語は確かに聞き取ると違っているということがわかります。でも、その外国人の友達と交流していくうちに私も日本人が話す英語ではあるし、得意なわけではないけれど、たくさん話してみるということでニュアンスが伝わり、「それはこういうこと?」と相手がフォローしてくれることもあるのです。

怖がらすに話してみることで、外国人とお友達になりたいと思っていた私も実際に友達ができて、一緒に遊んだり、時には日本語を教えることでまたコミュニケーションが広がっています。最初に行ったお店で話してみるという小さな一歩から始まった外国人との交流は自分にとっての世界観が明らかに変わりました。今ではもっといろんな国に行って、さらに自分の視野を広くして生きていきたいなと思っています。

ウォッカは必需品!

ヨガの教室でアイスランド人の女性と知り合い、親しくしています。彼女は夫と二人の息子との四人家族で、お宅に遊びに行ったときに、庭で陰干しされた四枚の寝袋を見ました。

何気無く家族で登山でもしてるのか、と聞いたところ、アイスランドでは一定の年齢になるとたいていの人は自分用の寝袋を最低一枚は持っている、とのことでした。停電や災害が冬にあったとき、凍死しないためで、アウトドアはまったく関係ないそうです。国が違えば自然環境も全然違って、備えるべき対策も違うんだと感心しました。

それと北欧やロシアのひと達はアルコールに強いと感じます。アルコールを必要とする理由も目から鱗でした。

アイスランド人の友人繋がりで、ノルウェーとロシアの人達とパーティで知り合ったときのことです。彼ら彼女らがウォッカを水のように飲んでいて驚愕しました。ショットで何杯もです。酒といったらウォッカなんだそうです。ビールやワインは喉を潤すための水やジュースのようなもので、酔うための本当のアルコールではないそうです。

アルコール度数の高いウォッカを飲めば、寒い冬でも体がポカポカ温まるから、嗜好品ではなく必需品だと言っていました。そのなかの一人は、雪害で家に閉じ込められたら寝袋とウォッカで生き残るつもり、と力強く笑っていました。

そんな国民性なので、アルコール中毒症は社会問題になっています。国も対策をこうじるようですが、絶対に無理、無駄、とその場のメンバーは笑っていて憂いの欠片もありませんでした。
いろいろな意味で国の違いを実感して興味深かったです。

素敵な笑顔と誠実なアメリカ軍人との出会い

20代半ばだったころ、友達に誘われて米軍基地がある近くのクラブに行ったことがきっかけです。そこには、たくさんのアメリカ軍人が毎週のように遊びにくる場所でした。日本なのに外国にいるような錯覚に陥るほどの外国人の数!さすがに最初は圧倒されて部屋の隅で様子をうかがうだけでしたが、「一緒に踊ろう!」「お酒おごるよ」と話しかけられるうちにどんどん楽しさにはまり毎週末必ずそのクラブに行くようになりました。

もともと英語系の大学をでてる私は少し英語ができたので会話は多少できまてました。たくさんのアメリカ人と知り合い、話をしたり笑いあったりととても貴重な体験ができたと今でも思います。ほとんどの人とはその場限り、クラブの外でも連絡をとる関係にはなりませんでしたが、ある日、とても運命的な出会いをしました。

毎週末来ているとてもかわいい男の子。 笑顔が素敵で、多くの人が女性目当てで来ているのに彼は日本人の男の子たちとも中がよく好感が持てる子でした。そんな彼と話をして以来、クラブ以外でもメールのやりとりをするようになり彼の誠実さやかわいらしさ、ユーモアさにすぐにひかれていきました。そして彼も私に興味をもってくれていたようで、真剣に付き合うこととなりました。

しかし、彼は軍人。 門限や外出禁止があり、さらに私は仕事をしていたのでなかなか思うようには会えませんでした。それでも、彼は、基地から1時間ほど離れた町に毎週末来てくれました。
わたしたちはお互いどんどん惹かれ合っていましたが、彼がアメリカに帰国しなければならない日はこくこくと迫っていました。

4か月交際し、わたしの両親にも挨拶をすませ彼は必ず日本に戻ってくることを約束しアメリカへ旅立って行きました。

国境を超えるフィーリングの合う友達

カナダに居たときによく遊んだ外国人の友達とのことを書こうと思います。

あるところで知り合ったカナダ人なんですが、年も非常に近く考え方も似ていたのでよく遊んでいました。ある日その友人が家に招待してくれたので遊びにいきました。家はとても広く場所も都心から離れたところにありとても静かで住みやすそうな場所でした。

お昼ごろから行き、昼間は近くの公園でサッカーをしました。その友人の家に居候しているルームメイトとも仲良くさせてもらいました。近所の公園でサッカーをしていい汗をかいたあと、家に帰り夜ご飯をみんなで食べました。ピザを頼んでくれてみんなでビールを飲みながら夕食を頼みました。やはり欧米文化なので普通に夜もピザで済ませるという感覚が非常に新鮮でした。

お酒も進み、会話に花が咲きました。その日はその友人の家に泊まるということだったのですが、それには理由があり、以前から一緒にボードゲームをしようと約束をしていたのでみんなでボードゲームを夜遅くまで楽しみました。その友人はかなりのボードゲームマニアで二人して攻めても勝てなくてとても悔しい思いをしましたが、めちゃめちゃ盛り上がりました。

二人ともネイティブスピーカーなので僕の英語力でたまについていけないところもありましたが、僕に合わせて話してくれて会話も何不自由なく出来ました。その日は泊まらせてもらって次の日に帰ったのですが、感覚としては、何故か昔から一緒に居たような感覚に駆られました。国や言葉が違ってもやはりフィーリングが合う友達とは何か分かち合えるものがあるということを知り国境を越えた感じが何ともいえず今でも僕の心の中に眠っています。

またカナダに行く計画を今から立てていますが、なかなか資金面でうまくいかないのでこれから本格的に頑張っていこうと思います。またその友人に会いたいです。

ニュージーランドでの兄のような韓国人同級生

1年間ほどニュージーランドへ留学していた頃に語学学校へ3か月間ほど通いました。
初日の日に通されたクラスは8名ほどで韓国人、中国人、ブラジル人が中心でした。

私の席は前から2番目で隣は韓国人の男の子でした。英語がまったく初心者レベルの私は不安でいっぱいでなかなかクラスに溶け込むことができずにいると、その男の子がとてもやさしく話しかけてきてくれたんです。

お互いぎこちない英語ですが、やさしさが伝わってきました。お弁当を一緒に食べてくれたり、何かあると常に誘ってくれました。

歳は私の1つ上で兄妹のようにそれからよく一緒にいるようになり、学校帰りに映画に連れて行ってくれたり、勉強を2人で一緒にしたりととても心強いパートナーでした。

いつものように話をしている時に、私は彼に「いつもありがとう、本当にやさしいね」と言ったことがあります。すると「日本人の女性はすごくやさしい、ありがとうという気持ちを大切にしていると思う」と言われたことがあります。

とってもとってもうれしかったです。韓国では日本人というだけで好かれるそうです。

私自身、異国へきて、はたから日本を見ることがなかったためか日本人は本当に低姿勢な国だなと実感しました。「ありがとう」の言葉は万国共通なんだと。

それから私が帰国するまで、彼とはずっと良い仲でいることができました。休みの日はご飯を作ってくれたり、誕生パーティーもしてくれて彼がいたからこそとても楽しい1年間を過ごせたと思っています。